天慶二年(939)関東にて平将門の乱が起こり、寛朝(かんちょう)大僧正が勅命を受け、弘法大師空海が敬刻開眼された御本尊不動明王を棒持し、成田の地に不動明王を安置し乱を鎮めるための護摩供を修されました。翌年の天慶三年(940)、霊験あらたかにして乱は平定され不動明王が安置されていた成田の地に成田山新勝寺が開創されました。
以来一千八十有余年、不動尊信仰の一大霊場として全国から尊信を集め、全国に別院・分院・末寺末教会が開創され今日に至っております。
明治二十一年、中村浄了師が結成した成田山新勝寺に参拝することを目的とした「成田講」の信徒が中心となり、青森市青柳に不動堂を建立したのが当山の始まりです。同二十三年に新勝寺の御分霊を不動堂に奉安し青森成田山と称しました。同四十一年に現在の栄町に本堂を移転し、県内外から広く信仰を集めておりましたが、昭和二十年の空襲により御本尊・本堂等悉く焼失してしまいました。昭和二十七年、中村照純師(中興第一世住職)が中心となり本堂再建を目指し成田山青森寺と寺号を称し奉賛会を設立、同三十二年に本堂再建、同三十五年に御本尊不動明王を奉安し当山の再興が成されました。このとき、当山が本州最北の地にあることから北を守るという願いも込められ、御本尊不動明王を北向きに安置しました。
当山開創以来、信徒各位のさまざまな願いを成就いたすべく、一心に不動明王へご祈願を捧げ続け今日に至ります。